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“東大理学部の画工・平瀬作五郎がイチョウの精子を発見”

イチョウ(Ginkgo biloba)は1属1種の植物で、雌雄異株の落葉高木です。特徴的な広葉を持っていますが、広葉樹ではなく、裸子植物ですが針葉樹ではないという“変わりダネ”です。そもそもイチョウ科の植物は中生代ジュラ紀(約1億9千万年前)に多くの種が繁栄し、世界各地で葉の化石が発見されています。その後4回の氷河期を経て、ほぼ全ての種が絶滅したとされていて、日本でも約100万年前に絶滅しました。ところが、本種だけが前世紀の遺物として中国の浙江省の山地に生き残った大木が見出されました。「生きている化石」として国際自然保護連盟(IUCN)から絶滅危惧種に指定されています。その年に伸びた枝につく切れ込みの多い葉が恐竜も見たであろう化石の葉に似ていて、二又分枝する葉脈も、陸に上がった最古の植物の特徴を留めています。また老木になると「乳」と呼ばれる突起(気根)が発生し、鍾乳石のような太い根(乳根または乳柱)が徐々に垂れ下がります(写真①)。維管束形成層が過剰成長した柔細胞に多量の澱粉を貯蔵しています。若木のうちから乳根を作る個体は『乳イチョウ』と呼ばれ、古来、日本各地で安産や子育ての信仰対象とされてきました。

原始植物としてのイチョウの受精メカニズムは特異で、シダ類やコケ類と同様に動く精子が卵に向かって泳いで受精します。すなわち、春の萌芽と同時に、細長い柄の先に2個の小さな緑色の膨らみを持った「胞子嚢穂」と呼ばれる雌性生殖器を咲かせます(写真②)。花弁や萼片・鱗片など花を飾るものは何もなく、尖った先端の先に小さな穴が開いているだけです。受粉の時期になると、この穴から小さな水滴が分泌され、風に乗って飛んできた花粉を捕らえて水滴ごと穴の中に取り込まれます。花粉は、珠心の先端にある窪み(花粉室)で発芽し、珠心の組織から栄養を吸収しながら発達して、秋の初め頃に大きな2個の精子を放出します。一方、珠心に形成された造卵器(胚珠)も受粉の刺激によって発達し、時を同じくして完成・受精するのです。果実の外観はウメとよく似ていますが、イチョウ実の表皮は珠皮の一番外側の層から、内側の硬い殻は珠皮の最内層からできています。かぶれる「果肉」の部分が珠皮の中間層に、また殻の中の茶色い渋皮は珠心の外側の層に由来するので、イチョウの「実」はそれ全体で「種子」であって、食べる部分は種子の中心部位にすぎないのです。すなわち、イチョウの実はウメの子房の中にある胚珠と相同で、子房に相当するものがないことから、裸子植物と分類されるのです。

精子を作る植物があることは1822年にミズゴケで発見され、またドイツの植物学者ネーゲリはシダ植物でも精子を発見しました。それ以後、緑藻・褐藻・藻菌類あるいはコケ・シダなどの陰花植物で精子が作られることは学者の間で広く知られていました。日本では明治維新後の混乱期、東京帝国大学農科大学(現東大・農学部)助教授の池野成一郎博士は、静岡県久能山竜華寺のソテツを材料として、フレミング液で固定した状態での精子を見出す研究を続けていました。他方、理科大学(東大・理学部)植物学教室の画工となった平瀬作五郎も池野先生の教示を受けながら附属植物園(現・小石川植物園)にあったイチョウの雌木(写真④)の果実を切って観察を続けた結果、明治29年(1896)9月9日に運動している精子を発見して藤井健次郎教授に確認してもらい、『植物学雑誌』第10巻116号に「いてふの精虫に就いて」の論文を投稿しました。すなわち、イチョウは4・5月頃開花すると花粉は胚珠の中の花粉室で生育し、9月上旬に精子を出して受精が行われ、10月に成熟するという特異的な経過をたどる(写真⑤)、という内容です。一方、池野博士も同じ年の117号に「そてつの精虫」の論文を投稿しました。日本語で書かれた二つの論文は、翌年にドイツの雑誌に欧文で紹介され、植物細胞学における最高峰の研究として世界的にも高く評価されました。これらの精子発見によってシダ植物と裸子植物の関連が明らかにされた功績は極めて大きく、それまでマツ科の植物として扱われていたイチョウは、これを契機にイチョウ綱が新設され、ただ一種の生ける化石として移籍されました。ただし、学歴の低い一介の雇われ技師のサクセスストーリーは日本のアカデミズムに合わず、彼は発見の翌年に彦根の中学教師として追放されましたが、後年、その功績が認められて学士院恩賜賞を授与されました。それから100年を経たイチョウの巨樹は現在でも小石川植物園に残されていて、今なお黄金色の葉を輝かせています。

鍾乳石のように垂れ下がった乳根(2020.12.20.撮影)
イチョウの雌花序(2019.4.08.撮影)
イチョウの雄花序(20129.4.08.撮影)
現存する精子発見のイチョウ樹
(2019.10.30.撮影)
イチョウの結実(2019.7.20.撮影)