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牛一頭と引き換えても惜しくない下剤・アサガオ

比叡山坂本のとある民家の庭先で、薄青色の原種に近いアサガオの小花を見つけました。お家の方に了解を得てタネ採りをし(写真①)、今年から薬草園で栽培することにしました(写真②)。アサガオ(Pharbitis nil)はつる性の一年草です。昭和27年(1952)、京大探検隊がネパール・ヒマラヤ山麓で野生種を発見していますが、それは葉が3裂した並葉を持ち、花は径4~5cmで淡青色の丸弁、種子は黒色でした。茎は左巻きに物に巻き付いて伸びます。わが国へは奈良時代に薬用として遣唐使によってもたらされ、以来日本では観賞用として改良された代表的な花卉の一つです(後述を参照)。

熟した乾燥種子が「牽牛子(ケンゴシ)」です。利尿と駆虫を兼ねた峻下剤として用いられます。その呼び名は「貴重で高価な種子を、大切な財産である牛一頭と交易した」という故事に因んだもの、と伝えられています。瀉下成分のファルビチン酸は、腸内に入って胆汁や腸液で分解され、腸管に強い刺激を与えて蠕動を増加し、腸粘膜を充血させ、分泌を増加して水瀉性下痢を引き起こします。作用は極めて激烈ですから取り扱いには注意が必要です。

典型的な短日植物のため、自然では夏至を過ぎる頃でないと花を着けません。通常、午前2時頃から蕾がふくらみ始め、5時に開花、10時頃が最も美しくなります。体内の生物時計(内生リズム)は日没時にリセットされ、その後約10時間目に花を開きますが、季節が進むにつれて開花時刻は早まります。わずか1~2日の短日処理で花成誘導されることから、しばしば理科の実験材料として利用されます。

わが国で観賞用として盛んに栽培されるようになったのは江戸期で、初期に白花が出現し、延宝年間(1673~81)には淡青、淡紅、濃青色のものが、さらに宝暦年間(1751~64)には花色の変化だけでなく形態的な変わり物も生まれ、天明・寛政年間(1781~1801)には鉢植えで盛んに栽培されました。特に幕末の文化・文政年間(1804~30)および嘉永・安政年間(1848~60)に大流行し、早朝の朝顔売りは夏の風物詩となりました。入谷の真源寺(鬼子母神)や染井が栽培の中心地で、朝顔市は7月6~8日に現在も続いています。そんな中で特筆すべきは平賀源内の『物類品隲(ブツルイヒンシツ)』(1763)に見られる「変化アサガオ」です。この変化アサガオは概して実を結ばないため、奇花を翌年出現させるためには、外見的には普通咲きを示すヘテロの母木から採種し、次代の個体群からごくわずかの出物(子葉の異形個体)を選出します。メンデルの大法則(1900)のほぼ100年前に、江戸の園芸愛好家は劣性遺伝子を出現させる手法を探り出し、またそれを各自の庭先で活用していたことを考えると、今更ながらその文化的・歴史的成果に驚嘆させられます。それらの手法は保存会によって今なお継承されており、京都府立植物園ではそれらの展示会が継続開催されています(昨年は7月28日~8月1日、写真③)。

明治以降は人々の好みも変り物から大輪系が主流を占めるようになり(写真④)、花弁数が5枚から8枚前後に増えた、径24~26cmにもなる巨大輪アサガオも出現しています。それらの巨大輪種を、大阪の「行灯作り」、東京の「切り込み作り」、名古屋の「盆養作り」、京都の「数咲き作り」などの仕立て方で力量感を持たせるような栽培が行われています。

アサガオのタネ(牽牛子)
(2023.11.22.撮影)
青色小花のアサガオ
(2024.7.03.撮影)
京都府立植物園の変化アサガオ展
(2023.7.30.撮影)
大輪系のアサガオ
(2023. 7.03.撮影)